京都・祇園祭ボランティア21
創設25周年記念パーティー
集合写真
(出席者160名)
 日時:平成20年11月15日(土曜日) 18:30より
 場所:からすま京都ホテル 3F 瑞雲の間

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1:開会の挨拶  会長 和田 淳司
2:来賓のご挨拶
  (財)祇園祭山鉾連合会 理事長 深見 茂 様
   京都府知事 山田 啓二 様
   京都市長  門川 大作 様
   八坂神社宮司 森 壽雄 様
3:感謝状の授与
   京都府  京都市
4:感謝状の贈呈
  (株)京都銀行、大日本スクリーン製造(株)、(株)光
 ウェッジ(株)、 京都YMCA、京都市洛南障害者授産所

5:乾杯
  (財)祇園祭山鉾連合会 理事 奥井 好昭 様
6:祝宴
  【お話】(財)裏千家 事務総長 関根 秀治 様
7:祝電披露
8:昔の祇園祭の映像上映
   NPO法人 京都の文化を映像で記録する会
9:ボランティア団体紹介
10:お楽しみ抽選会
11:閉会の挨拶  副会長 中井 敬二

【ご出席者】 (財)祇園祭山鉾連合会、関係山鉾町、京都府、京都市、協力企業団体、加盟ボランティア団体、ユース21関係、旧京都青少年活動推進会議、その他

 

1:開会の挨拶  京都・祇園祭ボランティア会長 和田 淳司

 皆様、今晩は!
 京都の山々も色とりどりに美しく変わろうとする晩秋の一夜、 公私共に大変ご多忙な連合会理事長様、京都府知事様、京都市市長様、八坂 神社宮司様、そして多くのご来賓の方々のご臨席の下、祇園祭曳き手ボランティア21の25周年の節目の会を執り行わせていただけます事、心より御礼と感謝の気持ちで一杯でございます。 ありがとうございます!!
そして、昨日の朝、副会長と共に八坂神社の大神様の前で本日の報告と感謝の気持ちを捧げて参りました事も一言ご報告致します。

 さて、25年前、ちょうど1984年、昭和59年でございます。
故伊住政和初代会長の呼びかけによりスタート致しましたボランティァですが、当初は、京都新聞の記事によりますと“8町だけ受け入れ”と大変小さなスペースで冷ややかなコメントの中、いつまで続くかな?という空気の中スタートをいたしております。

  私も第一回より曳き手として参加し、引き続き5,6回曳かせていただきましたが、当初より我々の目的は常に、①青年の積極的な社会参加による京都の活性化と青少年の育成 ②祇園祭への参加を通じ伝統,文化の継承と発展を自ら担う。 ということのみを中心に、こつこつと毎年を重ねてきたと思います。
 この間何といっても連合会様のご指導の中を進み、そして各山鉾町の方々の温かい親身なお世話‥ あるメンバーが言ってましたが、夏休みに親戚の家に行ったようだ。衣装を着る時も町内のおばちゃんがいろいろと気に掛けてくれるし、出発の時も帰ってきた時も、本当に心から迎えてくださる‥怖いおっちゃんもいるけどな。と聞いております。
そして、各種青少年団体が毎年協力し合って心を砕き運営をしていく中,
お互いの理解も深まってゆき、そして何よりも、炎天下であろうと、雨降る寒い時であろうと、目立とうと目立たなかろうと、黙々と一人一人の持ち場を責任を持ってやり遂げてくれたのべ1万人のボランティア一人一人の積み重ねの下 今日が迎えられたことは言うまでもございません。
そして、そういう地道な努力に対して企業の立場よりご協力を賜る会社もお陰様で少しずつ増えて参りました。
 本日は、我々ボランティアにとっては身に余る,分に過ぎたるパーティですが25年とういう歳月、歴史が連合会、ご町内、府政、市政、八坂神社、企業、そして我々全員の心すべてを一つに融和した結果だと受け止めております。
改めまして、皆様方のお立場、ゝを超えたご尽力によりこういう姿へ発展して来れました事心より御礼申し上げ、感謝申し上げます。ありがとうございます!!

 さて、本日より又“①参加者、スタッフの若返り ②個々のレベルの底上げ”という問題もクリアーしながら来年の巡行へと歩み始めますが、千年の祭りの歴史に負けることなく、活動の原点を忘れることなく、皆様方よりの折ある毎のご指導ご鞭撻、叱咤激励、を頂きまして、どこの場にあっても必要とされる、なくてはならないボランティア、人材達となりますよう改めて、又こつこつと努力してゆきたいと思います。
何卒変りませず宜しくお願い申しあげます。

                       2008.11.15  会長  和田 淳司

2:来賓のご挨拶

(財) 祇園祭山鉾連合会 理事長 深見  茂 様

hukami ただいまご紹介に預かりました。深見でございます。
京都・祇園祭ボランティア25周年誠におめでとうございます。

  ご存知の通り、この祇園祭には長い歴史があります。
そして、過去、山鉾巡行の助け手達に関しては、いろいろな危機的な状況にあったわけです。
これは、祇園祭というのは各保存会の一握りの旦那衆が、囃子方とか車方とか音頭取りとかあるいは曳き手担き手とかを特定の地域又は特定の団体から雇い入れてて、つまりいわば請け負わせて祭をするというのが伝統的な祇園祭の慣習であったわけです。
つまり参加型ではなくあくまで請負型でございました。
そして当時祇園祭の曳き手とか舁き手というのは近辺のだいたい南京都の方の村、そういった所から担き手が来てくれてたわけです。私の町内もそうでございました。

  ところが当時は結局敗戦後、国家神道の禁止、進駐軍、占領軍の政策といたことから長年培われてまいりました祇園社(感神院)に対するいわば土着の信仰でございますね祇園信仰というものが根底から揺らいで薄れておったわけです。
私、その当時昭和20年代から30年代はだいたい高校生から大学院生でまだ学生でございましたから祭には参加せずに巡行の時にはいわば手伝い手としてランニングシャツにトレーニングパンツを履きまして、そして今ならばスニーカーか何かなのですが当時は下駄を履きまして、そしてですね自分の山が進行するのを横を走って追いかけて行くんです。
そして、「雨が降ってきたぞ、傘取ってこい。」とか、「いや、忘れた!おい、取ってこい。」と言われますと「はい!」と言って町内へ走っていく役、いわばつまり連絡役ですね。といったような、いわば今のように整然とした巡行ではございませんで、そういうことをやっておったんです。
 ところが、そのころですね、労働争議も華やかだったんでございましょうが、祭の途中でですね、舁き手達が前の舁き手達と話し合うわけです。「お前のところはなんぼ(幾ら)もろとる?」「うちはなんぼや。」、「お~、待遇悪いな。」となるとですね、ぽぉ~んと山を伏せまして、裃を着た町内の責任者にですね、「前の町内はなんぼ貰とる。家はいったいどうしてくれるんだ。値上げしなければ、このまま山をほおって帰ってしまうぞ。」と言ったような、・・今、皆様どうお考えになりますか、でも現実に存在したわけです。
私自身は私の町内の腹だと思って実は言えなかったんですが、私が理事長になりましてから各町内の長老の皆様といろいろお話している内に「いや、実は私の町内でもあってな。」というのが幾つもございまして、やっぱりあの当時のつまり精神的公害があったわけです。

  その点に関しまして、今日のボランティアの皆様が毎年、必ず祇園社にとにかくその信仰の有り無しに関わらずお詣りして下さり。 そして、祇園祭というものはこういう精神だということを皆様に教育して下さり、そうして先程もお話しがありましたように、かつて戦前と同じように町内の方々がボランティアの皆様にまるで自分達の息子のように送り出し、迎えてくれているということは、正に祇園信仰の復興であるとこのように私は考えて非常に感謝している次第であります。

  誠に雑な話でございますが、このような点において私は非常にボランティア運動を高く評価しております。
これをもってお祝いの言葉とさせていただく次第でございます。
どうも本日はおめでとうございます。

                    2008、11,15 財団法人 山鉾連合会理事長 深見 茂 様

京都府知事 山田 啓二 様

yamadatiji 祇園祭ボランティア21、25周年本当におめでとうございます。
そして25周年を祝う会がこうして盛大に開かれますことに対して心からお慶びを申し上げたいと思います。

  やっぱり、祇園祭というのは本当に京都の誇りでありますし、そして京都の活力を日本に、世界に、発信する大きな源だと思います。
 山鉾が進まなければ京都の元気がない、来年の9月にはたぶんユネスコの無形文化遺産の登録もなると思いますし、世界に誇る京都の祭というものが、多くの人々によって支えられている。

  今、理事長様からおっしゃられましたように、もともとこの祭が長い歴史を持っている中で京都の町衆の力を示してきた祭であります。
しかし、時が過ぎ人が変わる中で、町内のある所は会社だけになってしまう所もありますし、ある所はマンションが立ち並ぶ町にもなって、 でも、祇園祭は京都の誇りである限り我々は引き継いで行かなければならない。

 伝統というのは引き継がれて初めて伝統であります。
毎年多くの次の世代に引き継がれて初めて伝統と言えるものだと思います。
25年というのは祇園祭の歴史から言えばまだまだ短い期間かもしれませんけれども、この祇園祭ボランティア21は21世紀の祇園祭にとりましては大きな息吹としての25年たったのではないかなというふうに思っております。
 この面から申しあげましても和田会長はじめ役員の皆様、そして本当は今日ここに居ていただいたら嬉しいんですけれども、伊住前会長様、こうした方々の今までのご労苦に対して心からお礼申し上げたいと思っております。

  これからも深見理事長様を中心に町内の核として、そして昔の時代よりもさらに多くの人に愛され、多くの若い人が参加できるそうした基盤として祇園祭ボランティア21が益々発展されますことを心から願いまして、25周年のお祝いの言葉とさせていただきます。

本日は本当におめでとうございます。

                  2008,11,15 京都府知事 山田 啓二  様

京都市長 門川 大作 様

 皆様こんばんは。ありがとうございます。
あの、司会者の方が耳だけ貸して欲しいと言いましたが、目も貸して欲しいんですね。
と申しますのは、私の裏地ですね、見えない所に・・

  日本とフランスの友好条約を結んで150年、そして、パリと京都市が姉妹都市50周年ということで、裏千家の方々をはじめ、みんなでいろんな取組をしています。
それで、私がパリへ行くと言ったら京都の友禅染の方で小学生に一所懸命教えてはる人が、これをつくってくれはりましてね。パリでこの羽織姿で祇園祭の宣伝をしてきました。
私の話よりもこれが一番受けました。

  そして、日本の文化、京都の文化、見えないところが美しい、こういう所を共感いただきまして、歴史と伝統等、様々な京都には誇るべきものがありますけれども、やはり私は市民ぐるみで、地域ぐるみでこのお祭りを盛り上げていく、こんな気運が最高のものやないか。こう思ってます。
25年前に多くの方々が、今は亡き伊住様はじめ、様々の御尽力で組織ができまして、みごとにここまで祇園祭を支え続けていただいたな、本当に感謝の気持ちで一杯であります。

  そして、深見理事長や森宮司がおられますけれども、京都の祇園祭が日本の祇園祭になり、世界の祇園祭に。ユネスコの世界遺産の祭の部で初めて来年には世界遺産として登録されることがほぼ確実になりました。嬉しい限りであります。

 こんな話を聞きました。
 皆様ご承知の通り祇園祭というのは1100年ほど前に66基の鉾を神泉苑から立てて巡行したのが始まりです。
なぜ66基かというとその時の日本の諸国の数、国の数が66であった。
私たちの先人は平安京の平和だけやなしに全国の平和を願って鉾を巡行した。
今でいうと世界の平和を祈ったのではないかな。このように思います。
自分の町だけということやなしに、日本中、世界中の平和を祈って行動された。

 もう一つは皆様ご承知の通り、1100年くらい前に都市化が進んできて、疫病がはやった。この撲滅の為に神様に祈り、立ち上がった。
今、おかげさんで疫病ははやっておりません。 しかし、サーズとか、インフルエンザとか(新型の)、あるいはエイズであるとか、さまざまな病(やまい)が人々を苦しめております。
さらに、生物学的な病だけやなしに、社会病理現象、例えば環境問題、例えば人間の自己中心的な生き方。様々な社会病理現象があります。

  世界の祇園祭が世界の平和を祈ると同時に、みんなで心を合わして地域の絆で、又、世界の人々と連帯して、世界中の社会病理現象を、お祈りするとともに立ち上がって無くしていこう、克服してゆこう。こんなお祭りやないかな。

  私は、祭こそが、地域の絆こそが、最高の、最大の社会資本やないかな。 そして、それに率先垂範して御尽力を賜っているのが、皆様方、ボランティアやないかな。頭が下がる思いであります。
私もちょっとボーイスカウトに関わらさせていただいておりますので、ボランティアで10年ほど前に第7団に回ってきましたので「鉾曳きたい。」と言いましたら。息子が、「歳やし止めときや!」
今、「来年こそ曳けませんか?」と聞きましたら、「あんた“鬮改め”の仕事あるやろ。」と言われまして。
ま~、あの~、おかげさんで、神輿は舁かせていただいております。
え~、これからも京都から世界に誇る祇園祭、皆様とご一緒に、思い、発展させ、そして世界の平和の為にそれぞれに汗をかき、頑張ってまいりたいと思っております。

皆様本当にありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

                 2008,11,15 京都市長 門川 大作  様

八坂神社宮司 森 壽雄 様

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一言お祝いのご挨拶を申し上げたいと存じます。
 その前に、今、会長様からも報告がございましたが、昨日14日に会長様と副会長様、お二人お揃いで八坂神社にお詣りを頂きまして、25周年の報告とそしてさらなるご発展を大神様に祈願をいただきました。
八坂の大神様もさぞかしお喜びになっておられることと拝察をいたしております。
誠にありがとうございます。

 さて、祇園祭の山鉾巡行の長い歴史を顧(かえり)みます時に様々な問題が起こりました。
古くには応仁の乱によります58基あった山鉾が被災し、大変な被害を受けました。
ところが皆様方の大変な御努力によって、すぐにその山鉾の復興がありました。又、江戸時代には度重なる大火、大火事があって山鉾が被害を受けましたし、又、明治の維新には社会の大変動ということ、又、戦中戦後の混乱、様々な問題が起こりその都度先人の皆様方は苦難を克服し、今日、立派にこの山鉾巡行を継承していただいた、ということであります。

  今日に至りましても、山鉾連合会、又山鉾町の皆様方、関係各位の皆様方の御努力によって今日は今日なりに様々な問題があるわけでありますが、皆様方の御努力によってそれを克服し、そして毎年、あの豪華絢爛な山鉾の巡行を執行していただいておる。誠にありがたいことであります。
そして、その時に皆様方が25年にわたって大きな力となって協力お誘いいただいておりますこと、この御奉仕のお心に対して私は今日感謝の心を込めて御礼を申し上げに参った次第でございます。
本当にありがとうございます。
我々はそういう中でこの祇園祭を、毎年、そして山鉾の豪華絢爛な巡行を拝見できる。本当にありがたいことだと感謝をいたしておるところであります。

  私は巡行の当日は毎年四条御旅所の前に八坂神社を遙拝する場所が設けられます。 そこにつめておりまして、皆様方が巡行を御奉仕していただく姿を拝見いたしております。
猛暑の中、又時には雨の中を一所懸命に御奉仕しておられるお姿を拝見いたし、本当に感謝をし、御礼を申し上げたいと思います。

  嘗ては、古くには寄町制度、又、長屋町制度という、そういう支援の制度もございましたが、明治になって廃止になりました。しかし、この平成の御代になって見事に、その制度、精神たるものが、伝統の文化、心が、見事によみがえり今日に継承されております。
本当にありがたいことであり、又、すごいことである。
皆様方が御奉仕いただいていることは大変なことであり、大きなことである、本当に、誠に敬意を表する次第であります。

 私ども、神社ではお祭りの事を「神人和楽(しんじんわらく)」というふうに申します。「神」「人」「和み」「楽しむ」ということであります。
まず、神様にお祭りを楽しんで頂く、そして楽しんでいただいて神様の強い護身が発動を頂いて我々は安寧な平穏生活をお守りいただくということであります。
そして同時に私ども御奉仕をさせていただく、そして皆様方が、そして又、沿道におみえの沢山の人々が、共にみんなが、祭を楽しませていただく、「神人和楽」であります。
そして、そこに神風が吹きまして総疫、都の疫を一掃する。文字通り京の都が平安の都でありますように疫を一掃して都の若返り、都のよみがえりを毎年毎年祈念いたしますのがこの祇園祭、そして山鉾の巡行でございます。

  皆様方のこの尊い、特にありがたいこの精神、お気持ち、どうぞ祇園祭だけに止まらず、世のため、人のためにさらなる大きな活躍を祈念申し上げ、私は今日は高い所からではございますが、心から感謝の気持ちを持ちましてお祝いのご挨拶とさせていただきます。
おめでとうございます。

                  2008,11,15 八坂神社宮司 森 壽雄 様

(財)裏千家事務総長 関根 秀治 様

 皆様こんばんあわ。
25周年、あっ、という間の出来事だったように思います。
仕事が忙しくなりまして最近はあまり関わりを持っておりませんが、そういう最初のほうから言い出しっぺの一人でございます。
お祝いを申し上げていいのか、感謝を申し上げていいのか、喜びを申し上げていいのか、やっぱり分からないような立場で今このような壇上に上がっているわけでございますが・・、

  実は26年ぐらい前ですね、このボランティアが始まる1年ほど前、京都の青少年団体を横断的にまとめようということで「京都青少年活動推進会議」というのができました。
それで、そこの会長が先程から「伊住様(いずみさん)」々々と呼ばれている、今の家元の弟様、当時は「千 政和(せんまさかず)様と申し上げました。
この方が会長に就任されまして、私も裏千家の専務理事を仰せつかりましてお手伝いをさせていただくことになりました。

  この青少年活動推進会議が地域社会に根付く、そしてまた、それを基盤にしながら青少年の健全育成という所に向かう。 その為にはどうしたらいいのかということを当時の千政和会長といろいろな話をしてる時に、この祇園祭に協力をさせていただく中で我が青少年活動推進会議の目的も達成されるんではないかということで話がまとまりました。
伊住会長が、さっそく田中会長(当時の連合会会長)であった、「田中様の所へ行ってこい。」と言われまして、私が行きましたら、田中会長が「分かりました。努力をしてみましょう。」と言ってお約束を頂いたわけであります。
それで、当時、青少年活動推進会議の楠様や村山様、林様とか仲様とか木村様だとか、みんなでですね、この問題に取り組むことになったわけであります。

  実はこの田中会長の説得もありまして、鉾が一つと、山が7つが、私どもの申し出を受けていただたのですが、(・・快くではなかったでした。)
最初はですね「そんな簡単にできんで!」ということでだいぶ断られたようでございますが、まあまあ、これらの山鉾が私どもの申し出を受けていただいたわけです。

  実は募集に入りましてですね。人が集まらん!。
大変なことになったと私は思いました。
「世界の祇園祭だ。」それを大見得きって我々がやると言った。それが人が集まらへんから鉾が動かない、山が動かない。これではどうするんだ、本当に悩んだ。
あちこち、みんなに電話したんですがなかなか集まらない。それであと50人ほど足らんということでしたか。いう状態でございましたけれども、そこに朗報がもたらされたわけでございます。
そこに居る林様がですね「理容美容組合が休みや~。」(その年の祇園祭の山鉾巡が月曜日だったんです。)
ここへ話をしようということになりまして、70人の方が集まっていただいてようやく動くようになったわけであります。

 けれども、今度は吉府入りの7月1日に八坂神社の方でオリエンテーションがありましたが、そこに来てくれるかどうか? 大変に心配いたしました。
ところが殆ど来てくれたんですね。私は本当に嬉しかった。

 そしてまた、17日(巡行当日)に本当に来てくれるんだろうか、これがまた大変は心配でありました。
ところがですね、実は全部来てくれた。
それぞれの山や鉾からですね。青少年活動推進会議のメンバーが張り付いておりますから、そこから電話でですね、「全員揃いました。」々々々々、という電話が入ってきてですね。本当に嬉しかった。あんなに嬉しかったことはなかったですね。

  で、またその本部(ボランティア本部)を何処にするかという問題がですね、これは八坂神社様の神様、同じ神様のYMCAが・・(笑い)、ぜんぜん神様違いですが、場所を提供しましょうと言っていただきまして。 で、我々も「違和感があるな~」と、失礼にあたるのではないかと思いながらも、場所が近いということもありまして、あの三条に本部を構えて安堵したことを思い出しております。

  その後、たくさんの方々の御協力を得ました。
今は和田様や石野様や中井様が引き継いでいただいております。本当にありがとうございます。 で、25周年を迎えました。
これから益々京都の青少年達が祇園祭を続けて健全に育成されていくような、ことに、さらに大きく繋がっていんではないかなというふうに思っております。
  もし、伊住会長が生きておられたら大変にお慶びになったのだろうというふうに思います。ちょうど45歳でお亡くなりになりました。
大変残念ではあるわけでありますが、つい先程まで伊住宗匠の奥様とご一緒で長崎におりまして、帰ってきたんですが。今日は御用時があってこの会に出たいのですが、おこしになれないということで、「皆様にはくれぐれもよろしくお伝えいただきたい。」ということをお伝え申し上げまして、祝辞に代えさせていただきたいと思います。

  本当にありがとうございました。

                  2008,11,15 財団法人 裏千家事務総長 関根 秀治 様

3:感謝状の授与
京都府 京都市
   
4:感謝状の贈呈
(財)祇園祭山鉾連合会 (株)京都銀行 大日本スクリーン製造(株)
     
(株) 光 ウェッジ(株) 京都YMCA
     
京都市洛南障害者授産所    
     
5:乾杯 (財)

 ご紹介頂きました。山鉾連合会理事の奥井でございます。
ご指名でございますので誠に征悦でございますが、乾杯の音頭を取らさせていただきます。

  ボランティア21の25周年、誠におめでとうございます。心からお祝い申し上げたいと思います。
当山鉾町32ケ町、その内21ケ町でボランティア21の方々にお世話になっております。
この場をお借りいたしまして感謝申し上げます。ありがとうございます。

今や、ボランティア21の方々無くして祇園祭がなかなか催行(さいこう)できないというふうな状況になっております。
それでは皆様と共に杯をかたむけたいと思います。

ボランティア21、25周年おめでとうございます。そして益々のご発展、皆様方のご活躍、並びにご監修の皆様方の御多幸をお祈りいたしまして乾杯したいと思います。

  「乾杯!!」

                  2008,11,15 財団法人 祇園祭山鉾連合会 理事 奥井 好昭  様

6:祝宴
 
7:昔の祇園祭の映像上映  NPO法人京都の文化を映像で記録する会 
 
8:ボランティア団体紹介
 
9:お楽しみ抽選会
 
10:閉会の挨拶 京都・祇園祭ボランティア21 副会長 中井 敬二

 本日は京都祇園祭ボランティア21の25周年式典に貴重な時間を割いてご出席を賜りましたこと、ありがとうございました。京都府知事様はじめ京都市長様 山鉾連合会理事長様 八坂神社宮司様など多方面にわたる皆様方にお祝いしていただいたこと心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

  先日 衛星放送で唐招提寺の平成大修理の特集番組を見ておりましたとき、鎌倉時代 大正時代 に大修理を行ったとき、時の職人はその時代の最先端の技術を取り入れて修繕して1200年の歴史を維持している場所もあれば、屋根を飾る首尾のように、建設したときよりそのままで屋根に飾られていることが報告されていました、一つの建築物を維持し管理し継承していくのに先人の多くの知識と技術のすごさを感じました。

  私たちが関わらせて頂いている祇園祭は1200年を超えて維持継承され、時に、新しいものも取り入れて発展させておられること、そのための皆様方のお力は、計り知れない大きなものであることを改めて実感したところでございます。
この祇園祭に曳き手として参加させていただいていることに、私たちはそのことの重大さを認識し、改めて厳粛に品位を持って関わらせて頂き、同じことの繰り返しは私たちの心に怠慢と傲慢さを生み出してしまうことを自覚しなければなりません。

  この25周年という節目は、世界の祇園祭として、この祭りに関わっていらっしゃる多くの人たちに対し曳き手として参加させていただいていることに心より感謝し、一人一人が関わらせて頂いているという責任と自覚をもう一度確認する場とさせていただきます。

どうか、これからも私達京都祇園祭ボランティア21に対しご理解とご指導のほど宜しくお願い申し上げます。
最後になりましが1200年を超える歴史がさらに積み重ねていきますよう祈念し御礼の挨拶とさせていただきます。
本日は 本当にありがとうございました。

                  2008,11,15 京都・祇園祭ボランティア21 副会長 中井 敬二