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<日時>平成15年6月29日(日) 10:30〜11:45 <場所>八坂神社内「常盤殿」 <主催>京都・祇園祭ボランティア21 <後援>八坂神社・(財)祇園祭山鉾連合会 |
<テーマ> 「祇園祭にみる守・破・離〜山鉾巡行を守り伝えたもの〜」 |
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<趣旨> <パネリスト>
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< 20年前、(故)伊住政和初代会長 呼びかけ趣旨回顧 > | ||
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(第1回議事録より)
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【 挨拶 】(村山忠彦) |
■20周年にあたり, 今一度初心にかえり、どのような形でボランティア活動が歩んできたか、又その間、山鉾連合会様や各山鉾町の方々がどのような お気持ちで接していただいたのか、 等々を洗い直し、今後の活動につなげたい。 |
【 20年の説明 】(村山忠彦) |
■20年前、京都には青年団体や青少年団体がいくらもありましたが、それらを統合する組織が無かった。
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【 ラウンド 1 】 ■ 山・鉾の思い出は? |
■祭の区域には「例年通り」という挨拶がある。【 吉田 孝次郎 様 】 |
■この常盤殿はすごく懐かしい。 元々北観音山の町内に「三井新町家」があって、その中に常盤殿という御殿がありました。 私が祭に参加するようになりました昭和23年変則的に祭が復興しまして2年目に「北観音山」は「船鉾」との合同巡行で四条寺町まで行って町内へ戻ってくるという、そういう変則的な巡行がございました。その後の慰労会をこの建物が「三井新町家」にあった時に3年ほど続けて大人や子どもが食事をした場所です。 ボランティア活動して2〜3年目に連合会の役員をさせていただいた時にこの建物で挨拶をさせていただいた、2重の思い出がある建物です。 ■私が昭和23年から50年間は囃子方として、一昨年まで「北観音山」に奉仕させていただき、今では町内を超えて「祇園祭」全体のお世話をさせていただけると言う家宝者です。 |
■祭の区域には「例年通り」という挨拶があります。 あまり細かなマニュアルを列挙することなく、「今年も例年通りよろしくお願いいたします。」と言えばだいたい了解し合えるというのが町内の構成員であります。 ただし、例年通りといいましても山鉾浮流ができて600年その間にさまざまな有為転変がありました。 しかし、「例年通り」という言葉で町内の心が一つになれるように、時間をかけて〜〜、祭のあるべき姿というものを決めてきたと思います。 ボランティア様とのお付き合いも20年もたちまして、確か10年の時のパーティーで伊住様に感謝を申し上げ、さらに言葉を足したことは、ボランティア様に対しても 我々の町内で交わす「例年通り」という言葉が使えれうようになった。と申しあげ、喜んでいただいた。 20年もお付き合いをしていると、やはり「例年通り」というご挨拶が互いにできる。これはやはり大した意味を持つと思います。 時間の経過の中でこの人間関係を作って、できあがってくる。 我々の町内における個々人の関わり、各家の祭への関わり方もやはり「例年通り」にお祭りを 迎え、客迎えの設えができ、するのが理想なんです。 あまりはではでしいお客様のお迎えをしないでおくことが、例年通りにお祭りを迎えられることといいながら、私の家ではやはり祇園祭の日が一番の晴れの日でござ います。 今年も「例年通り」にお祭りを迎えられることになれば良いかなと思っているのが今の私の気持ちです。 |
■ 吉田イズムの原点は? |
■私は祭の設えというものは女性に任すべきものではないと思っているのが、吉田イズムの一端かもしれません。
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■「マンションの方々」との付き合い方が課題です。【 松村 篤之介 様 】 |
今、我々が祭のことで大変困っていることは町内で所有の会所が無いことです。 会所には祭の間、御神体等々をお飾りする飾り席を設けるのですが、終戦直後にある事情で処分してしまい、今は、町内の何方かの家にお世話になり飾り席を続けてきております。 ここ約10年は私の家を開放させていただき、7月13日から1週間、飾り席 として皆様に見ていただいております。 ■20年前は私も町内では若手でした。 その当時は学生アルバイトにお世話になっておりましたが、全て私の家を提供申し上げ、着替え をしていただいておりまいた。 ボランティアになってもずっと私の家で掻き方の衣装の着替えをしていただいております。 又、 浄妙山では草鞋を使用するのでうすが、その草鞋のはきかたのご指導もさせていただいて おります。 現在、その他全て私の家でやっていただいております。 ■今年、初めて町内にマンションができることになり、この機会に個人の家を開放してやることを無くしたいという町内の皆様の意志もありまして、マンション業者と |
■ 代々大事にされていること、町家の保存は? |
■うちの町内には宇治川の橋合戦、平家物語からの橋合戦の浄妙坊と一階法師の御神体で、それに関連した国指定の重要文化財の鎧がございます。
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■ 「準備は女性でなければ行きとどかない」 【 杉本 節子 様 】 | |
■私が生まれた家は町家と呼ばれております。この建物は京都市の有形文化財に指定され、建物と杉本家の生活の伝統文化を継承保存する目的で財団法人が設立され、その財団によて建物は保存されております。 祇園祭との関わりは、私どもの伯牙山の町内は矢田町といいますが、うちの町会所も戦後、諸処の事情により昭和21年に手放しております。 それ以降、円山公園の収蔵庫ができるまでの約20数年伯牙山の骨組みから懸装品、御神体等一切合切を当家の蔵でお預かりしておりました。 同時に当家の店の間を町会所として「お飾り所」として使っています。 現在、祇園祭山鉾町たくさんある中でこのような密接な関わり方をしている家も非常に少なくなってきているとも思います。 ■祭りの準備が始まりますと、家の蔵や、円山公園の収蔵庫から道具が出され、うちの店の方に運びこまれます。 そして、いよいよお飾りをする時に神事係りが参りまして合図の太鼓をンドンと鳴らしながら町内を1〜2周するんです。 私は子供のころから、その太鼓が聞こえてくると、"あ〜、お祭りなんや!"という、本当に心がわくわくする瞬間を迎えます。 |
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■私が女性としての女性からのお話ですけれども。 |
■ 祭りの時の催し、一品の食材は? | |
■うちの場合は財団として建物を守るということになりましたので、今後もずっと「伯牙山」の飾り所として、伝統を継承していくということになっています。 祭りの期間中「伯牙山」の会所としては店の間は何方でも通りかかりに「伯牙山」の御神体、他を見ていただけるということになっています。 ■杉本家保存会といしては、14日から16日の3日間、屏風飾りを有料になりますが一般の方にも見ていただく機会を設けております。 これは2年前に財団法人京都市文化観光資源保護財団という所と私どもの財団と協力して個人の屏風祭の、屏風飾りを有料で公開しようと始めたもので、今年も引き続き財団の主催として一般に屏風飾りを公開することにしております。 |
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■祇園祭の時は「小芋を炊いた物」ですとか、「なすの揚げびたし」とか、季節のものを利用した物も数多く作ります。 祇園祭というと「鱧祭」と言われますし、「鱧料理」とゆうことになっているようですすけれども、祖母から祇園祭で食べるお寿司は「鱧料理」の中の「鱧寿司」というのが「晴れ」の料理としてどういったお料理やさんでもだされたりすると思います。 しかし、私は祖母から祭りの「お寿司」は「鯖寿司」であることを聞いておりまして、うちの台所(納戸)には、何時も「鯖寿司」を作るための「竹の皮」が束にして入れてあったんです。やはりお祭りの寿司は「鯖寿司」なんです。 |
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■女性が陰ながら責任を持って担わなければならないことは「祇園祭」の時って本当に多いんです。
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■ 「守ろうという意識ではなく行事に生活が同化している」 【 村山 忠彦 】 | |
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■私の家は京都三条大橋の東側で店を構える「千鳥酢」(村山造酢)で、創業は江戸の中期、徳川吉宗の八代将軍の時代と聞いております。 しかし、私は江戸時代のことを知っているわけでもありません。1日々々を大切にすることが、将来に渡って店を継承して行くことになる思っています。 東山三条も祇園祭の区域で、私も氏子でお千度参りには「祇園さん」でさせていただいておりました。ところが、東北のはてなのでお祭りと言いましても御三方のように晴れの場というのはほとんど無かったように思います。 ただ、氏子の一人でございますので子供の頃は祇園囃子を聞くと心踊った記憶があります。 そんな子供にとっての晴れの場は父がお客様を呼びまして仕出し料理を食べ、そこで接待をする。そしてそれが済めば宵山に寄せていただくとでした。 しかし、 私にすれば中ではなく、外から見ているお客様の1人である感じがしました。 本当に内側からようやく解らせていただいたのはこういったボランティア活動をさせていただいてからでございます。 ■会社は祇園ですけれども、家は左京に住んででおりまして又別の御社があります。 町内の皆様はそれをするのが邪魔臭いと言います。そして今年はやめとこうやというふうな風潮になっています。 それは「祇園祭」と比べて何が違うかというと、考えてしまいます。 |
■私が一番大切にしているのは、やはりお正月とお盆です。
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【 ラウンド 2 】 ■ 「ボランティア」との関わりについて。 |
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20年ボランティアとして努めてきたこと? ■ 神事であり、アルバイトとは違う、できるだけ公平感をもって 【村山 忠彦】 |
■今年は32基の中の20基を任されていますが、残りの12基の山鉾様はアルバイトの方を雇われてされていると思います。
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今後ボランティアに期待されることは? ■ 日本のすばらしさ、京都のすばらしさを体に焼き付ける活動に 【杉本 節子 様】 |
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■この祇園祭というのはやはり「都の祭」であって、毎年々々「例年通り」7月17日に巡行が執り行われることは、この日本の国が平和であり、そして祭を支えるいろいろな役割をになっておられる方々が健康でいなければ、何一つ欠けてもきちんと巡行は成り立っていかないものなんだなと思うのです。 3年ほど前でしたか、海外からの留学生の方ばかりがうちの曳き手のボランティアとして来て下さった年がございました。 それは、ヨーロッパからの方もいればアジアからの方もありました。 それでいろいろな国、地域の方が祇園祭にボランティアとして参加していただけることはその国の平和といいますか、みんなの健康ということ、その大切さ、幸せさということをその年強く感じました 。 このボランティア活動が京都で体験された方々”日本のすばらしさ、京都の素晴らしさ”というものを心に体に焼き付けていただく活動になっていけばというふうに願っております。期待しております。 |
■ 20年のエピソードは? |
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■20年前、私が担当でこの場でオリエンテーションがあり、伊住会長、連合会からは田中会長がお話されたことが、昨日のようにまぶたに浮かびます。 オリエンテーションでは皆様町内ごとに集まりまして、当日ご出席の方にこうしてください、ああしてください、とご説明させていただいたんですが、おかげで、20年間大過無く、問題がほとんど無しに現在まで来ております。 これはやはりボランティアの方々の意識、この祇園祭に参加するんだという意識が年々強くなってきている証拠ではないかなと思っております。 ここに17〜18年前の資料を持ってきたのですが、昔の書類の中に私がメモ書きしている内容は”朝食をしっかり食べてきて下さい。”とか”神事でございますので「禁煙」でございます。”とか”タオルは必ず持ってきてください。””白いパンツをはいて来てください。””指輪、時計ははずしてもらいます。””貴重品等々はリーダに預けて巡行して帰ってきてから責任をもって配布させていただく”とゆうようなことです。 |
このようなことを毎年毎年もうしあげ、そして、それを実行していただく。困るのは慣れていただいたのに来年、また違う方がおいでになりますので、一からお話しなければなりません。しかし、おかげさまで、今まで、無事故というふうに言っても良いんではないかなと思います。
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■ これからに向けて ■ 内なるものが外へ出て喜ばれるような状態が目出たい祭になり続ける 【吉田 孝次郎 様】 |
■我々がボランティア活動を受入れる時に一番心配したことは、安定して毎年々々きちっとしたお手伝いがお願いしてできるのかどうかとでした。 ■今日このシンポジウムで「初心に返って原点を」というようなご挨拶もございましたが、私は年々このボランティア活動というのは良くなっていると思います。
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【 まとめの挨拶 】(村山忠彦) |
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■本日は早朝より御集まりいただきまして本当にありがとうございました。又、御三方には御忙しい時間、御時間を頂戴いただきまして、本当にありがとうございました。 鉾町の皆様方、ボランティアの皆様方、今後もどうぞよろしくお願いをいたしまして、私の閉会の挨拶に替えさせていただきたいと思います。 本日はどうもありがとうございました。 |
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