平成17年10月24日「神社新報」掲載
祇園祭の舞台裏を垣間見て
             ― 地元の若者が支へる山鉾巡行 ―
國學院大學大学院文学研究科新道学専攻博士課程後期 越智 三和


【祇園祭のクリーンキャンペーン】


 
京都の夏の風物詩として著名な祇園祭は、朔日の山鉾町吉符入りから晦日の疫神社夏越祭までの一ヶ月間に亙る長いお祭りです。
 七月十七日の山鉾巡行とその宵山の期間だけを祇園祭だと思ってる人が多いようですが、七月中に行われるさまざまな神事や行事のすべてが祇園祭なのです。
 一ヶ月間に亙る長いお祭りですから、街も人も活気づき、七月の京都は祇園祭一色。普段のんびりした京都人も気ぜわしく、せかせかとせっかちになる・・・性格が変わると言われることもあるとか。お祭りと生活とが一体化しているのですね。
 私は昨年、自分の研究テーマの事例の一つとして祇園祭を調査をした御縁で、今年は祇園祭の舞台裏を少し垣間見せていただきました。それを少しご紹介したいと思います。

 七月に入ると山鉾町ではさまざまな行事が町内関係者の協力で行われます。十四日からは宵山。町内に建てられた山や鉾を拝観しに多くの人が訪れます。山や鉾のまわりは夜店も多く出て祭りの雰囲気を盛り上げているのですが、夜店というと頭が痛いのがゴミ問題。祇園祭では山鉾連合会が提唱し、協賛企業の協力を得て「祇園祭クリーンキャンペーン」として簡易ゴミ箱の設置をおこなっています。このゴミ箱、段ボールで作られた簡単なものですが、いたる所にあるので、道端にゴミが捨てられることを防いでいます。十五年前からの試みですが成功しているようですね。

 


【京都の祭りは京都人の手で】


 十七日はいよいよ山鉾巡行。私も山鉾三十二基の内、二十基を曳いた祇園祭ボランティア21という団体に見学者として参加させてもらいました。祇園祭ボランティア21は「京都の祭りは京都に住む若者の手で」を合い言葉に、祇園祭の山鉾巡行を通して青少年の社会参加と健全育成を推進することを目的として活動している団体です。曳き手の他、祇園祭山鉾連合会の補助・沿道整備などで今年は五百五十一人が参加しました。

 巡行当日、ボランティア参加者は朝六時から七時頃に各集合場所に集合。各山鉾リーダーと本部スタッフは6時半に三条のYMCAに集合しました。YMCAはキリスト教の青少年会館ですが、ボランティア発足当時から本部として会館を提供しているそうです。その他、南禅寺のお坊さんや立正佼成会会員が曳き手に参加したり、東本願寺の門戸で神祇不拝の習慣がある旧家でも祇園祭だけは参加するなど、祇園祭は宗教宗派を越えて大事なものとしてとらえられているようでした。
 YMCAで最終の打ち合わせの後、各自の持ち場へ。私は連合会本部付係の方のお供をして山鉾連合会本部に移動しました。連合会本部は無線とPHSを利用した場所確認のパソコンが設置され、テレビではKBS京都の祇園祭生中継が放送中。その場にいなくとも祭の様子がわかるようになっています。
 無線やPHSを持つのもボランティアの参加者。各定位置から無線で「××鉾、○○通通過」と逐次報告が入り、パソコンでもPHSによって地図上の確認ができます。「ハイテクですね」と声をかけると、「裏方は文明の利器を取り入れてます」とのお返事。「祭りの運営は改善していく部分と変えてはならないものとがありますね」とも言われてました。尚、これらの道具類はすべてレンタルだそうです。

 沿道に集まった二十四万人の観客に見守られて、午前九時に始まった山鉾三十二基の巡行は午後一時すぎに無事終了。例年、巡行の進行はほんの数分の誤差だそうです。綿密な事前の準備と、当日の参加者の協力あってのことなのでしょうね。
 巡行を終え各町に戻った山鉾はすぐに解体されます。これは山鉾は夕方に渡御する神輿の露払いと考えられているため、穢れが寄り付いた山鉾を長く置いてはいけないという考え方から。夕方には影も形もありませんでした。

 


【祇園祭は神事との強い意識】


 二日間、祇園祭に関わる方々からよく聞いたのは「祇園祭は神事ですから」という言葉。祇園祭は観光化されたお祭りの印象が強く、神事の部分はおざなりになっているのでは?と邪推しがちですがそれは大きな間違い。当事者の方々は神事であり、すべてのものが神さまに通じるものだということを強く意識されているようです。
 ボランティアの参加者も七月上旬の説明会の後、八坂神社に参拝して御祓いを受け、気持ちの上では八坂神社の氏子となって参加するという形をとっています。
 巡行当日の身だしなみは髪の色はもちろん、下着の色まで指定するとか。以前、当日に髪を染めてきた参加者を神事に加わらせるわけにはいかないからと遠慮してもらおうとしたところ、本人があわてて近所のコンビニに駆け込んで染髪料を買い、その場で黒く染めて巡行に参加したということがあったそうです。参加者の方にも祇園祭に参加したいという熱意があり、それにはどういう心構えが必要か分かってくるものなのでしょう。

 もう一つ印象的だったのは「お祭りは不合理な部分もあるから続く」ということ。人が集まりにくいから日曜日にしよう、初めての人でもわかりやすいようきっちりしたマニュアルを作ろう、そういう合理化をしようとするとダメになる、続かなくなる、と。
 だからボランティアにも詳細なマニュアルはありません。各山鉾町のしきたりに従って行う、これだけです。
 また山鉾町には「例年通りに」という挨拶があります。細かい打ち合わせなどしなくとも例年どおりにという言葉でだいたい了解できる、またこの言葉で町内の心が一つになれるように時間をかけて祭りのあるべき姿を決めてきたという意味だそうです。たしかにマニュアルがあると表面的にはスムーズに行きますが、それに頼ってしまって身にはなりません。最初は大変だけれど、マニュアルに頼らず人を育てる、大事なことだと考えさせられました。

 大都会でありながら、地縁で結ばれた人達が大事に守り伝えている祇園祭。コンチキチンという祇園囃子を聞きながら、京都の粋の一端に触れたような二日間でした。

【筆者コメント】

神社新報に載せてもらった記事ですが、おかげさまでとても好評でした。
あのような経験をさせてくださった祇園祭ボランティアの皆様、声をかけてくださった石野さんのおかげです。
ほんとうにありがとうございました。

神社新報は読者のほとんどが神社界関係者、神職さんでお祭りの運営に関わってる方々です。
お祭りのイベント化、観光化あるいは人手不足などの問題に直面されている方が多いので、
「祇園祭はすごい。 あのような大きなお祭りであそこまで神事の意識を維持しているのはすばらしいこと」
というコメントを何人の方からもいただきました。

祇園祭も もちろんすべてが恵まれたいい形で行われているわけではなくて
いろいろと直面している問題も多いと思います。
そのあたりのことを書ききれず、ただ良い部分だけを取り上げたのは言葉足らずだったかな・・と反省していますが、
とりあえず「観光化して神事がおざなりになってる祇園祭」という誤解を解くことは多少できたかな、と思っています。

越智 三和

【神社新報 読者コメント】

■「祭りの運営は改善していく部分と変えてはいけないところがある、というコメントに共感した。
 祇園祭も裏ではPC使ったりしてハイテクでやってるのに、
 お祭りの部分ではマニュアルがなくてしきたりに従ってやるところとか
 非常にいい形で組織ができてると思った。」

■「例年通りに、という言葉を読みながら頷いた。
 都会ばかりでなくこの田舎(広島の方です)にも時代を反映してさまざまな問題が山積み。
 そんな中でこの言葉の持つ意味はすごく深いと思う」

■「結局、一番大事なのは祭は神事という意識。
 本当にお祭りを大事に思っている当事者の人たちは神事という意識が強いけれど、
 行政にその意識がなく、お祭りを観光化しようとする。
 祭りは自分たちのものである、という意識をもつことが重要だと思う」


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